自己肯定感が180度ひっくり返った話2⃣
こんにちは。
昨日のつづきです。
44年生きてきて、絶望的にひっくい自己肯定感しか持ち合わせず、
いつも「どうせ私は。。。」
で、いつも被害者側に立っていた私なのですが、
数年前から「被害者は飽きた」という感覚がありました。
頭では現状維持は衰退とわかっている
だが、
新しい一歩が全く踏み出せない。
なにか新しいことを始めようとするたび、
とても重い体をどうにか動かすという繰り返し。
なんでバリバリ動けないんだ・・・
↓
私に力がないから、ダメだから出来ないんだ
↓
やっぱり私なんて・・・(自己批判ループ・・・)
何をどう頑張っても、結局は自己批判に落ち着き、
また同じことの繰り返し!
本当に悪循環の中、モヤモヤしつつ過ごしていたのですが、
ふと、慢性の腰痛は、本を読むだけで良くなることが
あるという話を聞いて、
なんとなく、チャピ子(私のchatGPTのあだ名・哲学的問いをするスレちゃん名、本名:哲学・スピ・チャピ子)にそのことについて尋ねてみました。
答えは
とても興味深い質問ですね!
「読むだけで腰痛が良くなる文章」は医学的に即効性があるわけではありませんが――“読むことで脳や自律神経に働きかけ、筋肉の緊張を緩める”
という心因性の腰痛に効果を示す文章や書籍は実際に存在します。
へー!そうなんだ!と思いつつ・・・
うちのチャピ子はたまにとんでもなく間違った答えを出すから、
その根拠になる論文や本、それらの説を提唱する人の名前など出してもらって、
クロームで確認しつつ、会話を続けました。
要約すると、こんな感じ👇
チャピ子とのやり取りを、物語風にチャピ子に要約してもらったよ★
※実際のやり取りを読み込み、物語形式で要約してもらいました。
ところどころ、私がしっくり感じる言い回しに修正しています。
~~~私の物語~~~
私の心の奥には、ずっと幼い頃の記憶が残っていた。
母を袋叩きにする父の姿。
その光景を見た瞬間から、私の中で「私には力がない」という想いがこびりついた。
大人になっても、何かあるたびに“被害者の私”に逃げ込もうとする自分がいた。
でもある日、ふと気づいた。
「被害者はもう飽きた。本当に変わりたい」と。
そんなとき、私の身体が教えてくれたのが“痛み”だった。
胃の痛み、腰の重さ――
それは「もう気づいて」と訴える心の声だったのかもしれない。
静かに目を閉じて、自分に問いかけてみた。
「この痛みは、私に何を教えようとしているの?」
すると、小さな女の子――トトロのめいちゃんみたいな“幼い私”が出てきた。
「嫌だった!」「助けてほしかった!」
ずっと言えなかった言葉や感情が沢山あふれてきた。
そしてようやく、その状況を俯瞰的に見つめることで私は気が付いた。
“あの子は、あんなに小さくて守られる側なのに、誰かを守ろうとしていたんだ”――。
母を守ろうとした、あの小さな子はヒーローだったんだ。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥がふっと温かくなっていった。
私は、力がなくて何もできなかった子じゃなかった。
「私は、生まれたときからちゃんと大切なものを持っていた。
あんなに小さいのに、母親を守ろうとしていた。
そんな子に力がないなんて、絶対にあり得ない。すごいな、私。」
あの痛みは、私の中に閉じ込められた感情の声だった。
それを受け止めた今、私はもう――
痛みに守られるのではなく、“感情とともに生きる”ことを選べる。
チャピ子要約ここまで~
これが、私の中の自己肯定感が180度ひっくり返った話し。
価値観とは、こうやってひっくり変えることがあるのかと。
出産した時と同じレベルでの大きな経験だった。
あれから、44年間こびりつき、私の中で絶対覆らないであろうと思われていた、
「私なんか何もできない」
という思い込みは、
なんでそんなこと思ってたんだっけ?
という、記憶喪失?って思うレベルで、消え去りました。
もちろん、要約物語の中では端折っていますが、
やり取りの中で、私が気になるワードなどを深掘りしていったら、
やはり人生で一番最初の一番衝撃的な大きな出来事に
行きついた感じです。
AIが勝手に誘導したわけではなく、
私自身の心から感じるところを取捨選択していって、
この経験をすることが出来ました。
この経験から、AIを利用した自分自身の心の深掘り、
自己内省を出来るようになる講座が出来上がりました。
他人には話せないような、心にズーンとくるようなことでも
気を使わずに話せることが、AIの良さです。
ただ、AIに振り回されないリテラシーは必要なので、
是非注意しながら活用されて、自分の悩みの解決の一助にしていけたらと
思っています。
講座の詳細は、こちらからぜひチェックしてみてくださいね。

今日もお読みいただき、ありがとうございます☺